銀山温泉を楽しむためのおすすめスポットや散策コースをご案内
温泉で疲れを癒したら自然の中でのんびり過ごすのも銀山温泉の楽しみ方です。温泉街から延びている散策コースの散歩などいかがでしょうか。秋には紅葉が華やかに色づき、また格別です。初雪からみどりの日(山開き)までの期間は、足場が悪くなり坑道方面への入山ができません。あらかじめご了承ください。
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▼ゆったり散策コース(約1.9km 約90分)
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▼銀鉱洞直行コース(約1.4km 約60分)
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▼滝見コース(約0.8km 約20分)
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温泉の香りに誘われ坂道を下ると、川沿いに立ち並ぶ沢山の湯屋。タイムスリップをしたような風景が広がります。
安産の神と知られ「木の男根」が奉納されています。
温泉街に入り口の橋は、「白銀(しろがね)橋(ばし)」です。橋の温泉街側には休憩スペース「ねまる座」があります。
白銀橋の近くにある、モダンな外観の共同浴場です。中は間接照明がとてもムードのある空間を演出しています。
温泉街の入り口、銀山川のほとりにあり、誰でも気軽に利用できる足湯です。源泉がそのまま使われているので効果も抜群です。
温泉街のなかほどに「大湯(おおゆ)(かじか湯)」という共同浴場が有ります。8:00~20:00まで、1人300円(12才以下、温泉街の宿泊者は無料)で入ることができます。
温泉街の奥側の浴場は、貸切家族風呂のおもかげ湯です。1組50分間の貸切、10:00~17:00まで受付、ご利用受付は『居酒屋ちょろ松』(電話0237-28-2493)で。
白銀の滝の前のお地蔵様。山形百八地蔵尊、第九十一番霊場です。健康長寿・厄除けを祈願したものとされています。
水を排出するために使われていた坑道です。入り口から数メートルを見学できます。常に水滴がしたりひんやりとしています。
白銀の滝の守り神です。
落差22メートルの存在感ある美しい滝が出迎えてくれます。心も体もリフレッシュできることでしょう。
銀山温泉の開発に功績のあった田中豊が他の地より移設し、洞窟の中に奉ったとされます。子供の安全を守る神です。
入り口は小さく見えますが、中に入ると奥の方に岩と岩の間の隙間があり、上に抜けられるようになっています。
沢山の緑に囲まれた清流にかかる赤い橋は優美な心安らぐ風情を感じることができます。
岩盤を走る滝の周囲は、大自然に囲まれ、季節によって緑や紅葉に染まり、年間を通して美しい自然を満喫できます。
清らかな清流の音、景色、心が洗われるようです。
日本を代表する山形出身の近代歌人、斉藤茂吉の歌碑です。
昭和初期に作られた、渓谷美と同調するレトロな石橋です。大自然の中で歴史を感じながら散策してみてはいかがでしょうか。
康正2年(1457年)の秋、石川県金沢の儀賀市郎左衛門によって、延沢銀山の銀鉱が開発され元禄末期まで鉱山の町として隆盛を極めました。
黒ずんだ岩肌を貫いて坑洞内には歩道橋が付けられ、証明設備も整っており、幻想的な空間が体験できます。
銀山坑の中からのひんやりとした風が吹き出しており、夏でも驚くほどに涼む事ができます。
文化庁史跡指定されている延沢銀山廃坑洞。(見学無料)息をのむ静けさとひんやりとした妖しさののなかで、また違った銀山温泉を味わう事ができます。
銀坑道入口前の公園、ここから銀坑道探索の始まりです。坑道は雪が降り始めると危険ですので入坑できません。
おもかげ園の中にある情景豊かな池です。
銀山温泉の裏のウラ、気を付けないと見逃してしまうかも知れない細かいスポットをご紹介します。かつて延沢銀山として栄えたこの地が銀山温泉として開発されるまで心血を注いだ人物の歴史、銀山温泉を愛した文化人の想いが垣間見えます。
齋藤茂吉は昭和21年1月30日から22年11月3日まで1年10ヵ月を大石田で過ごしています。この歌は、昭和20年8月26日に能登屋旅館に泊まり翌日、田中家の別荘(そば処滝見館の滝側)で一休みした後に出かけて詠んだ歌です。文殊谷とは、滝附近のことを言ったようです。銀が産出した時代の活気ある賑やかさを表現したようです。歌集『白き山』にも載せられています。歌の意味・・・蝉の声が心に響いてくる頃に文殊谷を渡ったら、かつて大盛りといわれ大量の銀を産出した頃が浮かんできます。
田中豊氏は、遠く長崎に蘭学を学び、西洋医学を身につけ故郷に錦を飾って帰ってきました。佐藤茂兵衛氏の叔父分にあたる方です。大石田町に医院を開業すると共に、多くの英才を養成して医学報国を志し、学資を出して養成した若い医者たちのために、山形市香澄町に至誠堂病院を建て、彼等の独立のために資し、併せて医学報国を実践しました。彼は養成した若い学徒がそれぞれ立派な医者になったことを見届けると、医業は彼等にゆずり、すっぱりと医者をやめ、佐藤家(銀山温泉発電所の経営者)の事業を助け、同家の経営するすべての会社の専務取締役として縦横の手腕をふるいました。温泉の開発に佐藤氏と共にあらゆる協力を惜しまなかった方です。
赤湯出身の方で、第15代日本銀行総裁になった方です。歌碑はせことい橋を渡り右側の高台に設置されています。
飛瀑 千 丈 日 永に心 洗ふか南 臨雲
意味・・・大変高い場所から注ぐ滝を、春の一日遅い夕暮れの中、黄昏まで眺めていると、心が澄んでいるような気がします。
こうもり穴を過ぎて坂を下り、左手に向かう上り坂の先に漢詩の石碑があります。
穿雲行十里(くもをうがちいくことじゅうり)
鶏犬有孤村(けいけんこそんあり)
泉霊気自温(せんれいのきおのずからあたたまる)
地僻人皆寿(ちへきにしてみなじゅ)
劈山三瀑潟(やまをつんざきさんばくそそぐ)
激石一渓奔(いしにげきしいっけいほとばしる)
聞道曾無盗(きくならくかってとうなし)
家々不設門(かかもんをもうけず) 皎亭(こうてい)